雷対策の歴史

避雷針の歴史

フランクリンの避雷針(従来の避雷針)

1750年頃、アメリカのベンジャミン・フランクリンが電気について実験を行う過程で、避雷針を発明した事が始まりとされています。

18世紀は世界的にも「電気」が注目されはじめた時代です。

日本ではその頃、長崎に医療機器として入ってきた静電気発生装置を平賀源内が修復し、かの有名な「エレキテル」を産み出したころでもあります。

そんな時代に生まれた世界最初の避雷針とは、一体どんなものだったのでしょうか?

 

今でこそ「雷は電気」だと誰もが知っていますが、18世紀の当時、雷の正体は謎でした。

雷は電気だと何となく気づきつつはあるものの、その証明は誰も行ったことがありません。

 

そんな時代、フランクリンはとある実験を行います。

まず、雷雨でも破れない絹でできた凧を作り、鍵を紐で結びつけます。

この凧を雷が発生したときにあげると、フランクリンの狙い通り鍵が帯電して、ライデン瓶(※蓄電池が発明される以前の、電気をためることのできる器)に電気を蓄えられたのです。

この実験によりフランクリンは、雷は電気である事を明らかにし、同時に避雷針の原型をも作り上げたのです。

 

日本での避雷針の歴史

日本には安政年間(※西暦1855~1860年)には避雷針の技術が伝わっていたことが知られています。

1856年に刊行された『大地震暦年考』に収められた「地震並びに雷よけ立退き殿造りの図」の説明書きによれば、屋根に先端を尖らせ銅の鍍金を施した1丈6尺5寸、もしくは3丈3尺の鉄の角柱を立てて、柱から鎖を4方に張り、末端を専用に掘られた井戸に浸ける、という方式だった。

その他にも、石川県金沢市に存在する前田利家を祀る尾山神社の神門や、群馬県の富岡製糸場の鉄製煙突の最上部に鍋釣のような台座があり、避雷針が備え付けられています。

「雷を呼び込むもの」であるということ

避雷針そのものは雷を呼び込む装置なので、避雷針やこれに接続された導線などに触れた場合や、その近くにいた場合は雷撃を被り、死亡する可能性もあるということを頭に入れておかなければなりません。

また、避雷針やこれに接続された導線の近くに電子機器などを配置すると、落雷時の電磁誘導作用により電子機器が破壊されることもあります。

避雷針が発明された250年以上前と現在では環境が全く異なります。

情報化が進んでいる現代では、電子機器の破壊は莫大な損失を生むことになります。

そもそも雷は自然のものですから、「確実に避雷針に雷を落とせる」とは言い切れないことも事実です。

 

ESE避雷針 <早期ストリーマ放出型避雷針> (early streamer emission = ese)

避雷針の集雷機能を向上させるためにESE避雷針(早期ストリーマ放出型避雷針)の発明が行われました。

ESE避雷針は主にスペイン、フランス、中国で使用されています。スペインの「Aplicaciones Tecnológicas 」社においては、AENOR(スペイン規制認証協会)により製品とサービスに関する法律「UNE-EN ISO 9001:2008」に準拠した品質であると認められています。

また環境管理システム「UNE-EN ISO 14001:2004」の規制に準拠していると認められています。

 

同じように「雷を呼び込む」フランクリンの避雷針との比較

フランクリンの避雷針も、ESE避雷針も「雷を呼び込む避雷針」としては同じです

しかし、防護範囲の広さが異なることを考えると、ESE避雷針の方が設置数を少なくできると言えます。

また避雷針そのものの形状も様々で、先端が尖っているものもあれば、球体状のものもあります。

 

消イオン容量型避雷針

世界各国で使用されている、それまでのものとは全く性能の異なる避雷針です。

2003年にヨーロッパのアンドラ国で発明され、2010年にビューローベリタス認証をうけました。

2014年に内閣府 防災推進協議会 防災安全協会から防災製品として認定されました。
(ビューローベリタスとは:世界140カ国で品質、健康、安全、環境保護などの試験・検査・認証を行っている第三者機関。本部はフランス。)

本体から半径100mの範囲で、上空のマイナス電荷を常に引き寄せる働きをしています。

周辺で発生するマイナス電荷が常に製品(DINNTECO-100Plus)へ向かって引き寄せられている形になるので、上空に向かってマイナス電荷が放出されることがありません。
また、地面(対象となる接地極)のプラス電荷も常に製品本体へ引き寄せています。

そうして空中から引き寄せたマイナス電荷と地面から引き寄せたプラス電荷を、本体内部では自動的かつ継続的に電荷交換を行うことで中和し続け、ごく微弱な電流として安全に地面に逃がしています。

その働きにより、保護範囲内では電位差が発生しない(大気中のマイナス電荷を飽和させない)ため、落雷が発生しないのです。

このように避雷針の技術は日々進化を続けています。

 

避雷器の歴史

避雷器は雷の被害から電気設備を守るため開発されました。当初、単純な火花ギャップ(電極が向かい合ってるだけ)の簡単な構造でした。

避雷器導入当時は電柱などについている配電線を守るものがほとんどでした

現在ではコンセントに差し込むだけで、家電機器の雷被害を防げるような小さな避雷器や新幹線などに使われる避雷器もあります。

配電線用避雷器の移り変り

1910〜1955年頃:避雷器の誕生

日本では1911年、弁作用を持つものとしてアルミニウム電解被膜を利用したアルミニウムセル避雷器が導入されました。

1930〜1990年頃:Pバルブ(紙)避雷器、炭化ケイ素(SiC)避雷器の登場

1930年頃に開発された炭化ケイ素(SiC)を主原料とするものや、絶縁紙にアルミ箔を貼り、筒状に巻き締めて特性要素としたPバルブ避雷器(当社製品)が登場しました。

1975年頃〜現在:酸化亜鉛素子(ZnO素子)避雷器の時代へ

1968年、世界に先駆けて、日本では酸化亜鉛素子(ZnO素子)が開発されました。酸化亜鉛素子は従来のSiC避雷器に比べ、雷のエネルギーを瞬時に効率よく処理できる機能を持っており、全世界に普及していきました。

Pバルブ避雷器

1950年頃〜1990年頃

SiC避雷器

1960年頃〜1990年頃

ZnO避雷器

1975年頃〜現在